シリーズもので、今何巻になっているのだろう?
10冊くらいあるのかな。
息子と競争で読んでいます。
文庫を古本で手配できた分が手元にあり、7冊かな。
最後の一冊の取り合い中です。
現代の若者、特に男性が好みそうな本。
一冊目が有名なため、息子に与えたところ、「続きがあるようなので、探してもらえないか」と依頼されました。
若い男性の目で見た、世相が描かれています。
脇役も印象的で、人間をよく描いている小説。
主人公を好きになります。
世を騒がせた事件のいくつかも題材となり、描かれています。
ドキドキしながら本を読みたくないときには、あまりよくないのかもしれない。
主人に「どんな本なの?」とたずねられ、
「エロあり、ハードボイルド系、謎解きあり、若者向け、読みやすい」
と、こういうのはよくないのですが「タグ調」で短く解説したところ、
「俺も読まねば」。
これは小編がいくつか入った本で、
ちょうど年頃ですし、どうかな、と思って購入しました。
息子には、ちょっと衝撃な物語・難しい物語も入っていたようです。
おそらく、読まなかったものもあるんではないかと思います。
先頭の「西の魔女が死んだ」は映画化されているので、
抄でなく、全部読みたくならないかな、と期待していたのですが、
あまり関心はないようでした。
私が読む前に息子に読ませると、その反応をおさえて、私が読むことになるので、
私が面白いです。
随分感覚が違うものだな、と思います。
息子は一人っ子ですが、「兄弟」というもの、身近に感じることができただろうか。
「兄弟」をテーマにしたものを読むと、想像力はそこまでか、と思うような、浅い感想を述べます。
「昔こんなことがあってね、その話の本があるんだけど、読みますか」
と、息子にたずね、「読む」と言ったので購入しました。
割と近年にあったこと、舞台もよく知っている場所です。
主人も読み、私も読みました。
実話で、非常にリアル・等身大の高校生が描かれています。
題材である試合を終えたあと、その影響に戸惑う人々の姿が、印象的です。
息子は「こんなに点差があっても、腐らないで試合を続けたのがえらい、
相手も、気を抜かず、真剣に試合を続けたのがえらい」という感想。
主人は「結局、こういうことがあった、ということが、子どもたちの進路にはプラスになっているのね」という感想。
私は、もやもやと、まとまりのないいろいろを考えさせられました。
「監督と選手の関係」とか「勝ち負け」とか、雑多なこと。
この本は、伊集院静の別な一冊を買って欲しい、という注文を、息子から受け、
その際、一緒に購入しました。
先に息子が読み、そのあと、私が読んでいます。
私は、まだ半分しか読んでいないのですが、
表題作が大変いいと思い、息子にそう言ったところ、
「そうだよね、俺もそう思った」
面白かった、というのと、ちょっと違う良さを感じたのですが、
ぴったりの形容ができないと「よかった」になってしまうものです。
「好きだ」と同じ用法といえるかな。
主人公の少年が、表紙絵なのでしょうが、
息子の数年前に似ていると思い、それも言ってみたら、
「俺もそう思った」
背番号も、当時4番をつけていたので。
多分、息子と私では、最も感じ入った部分が異なると思います。
「一番よかったところはどこですか」という質問をしそうになり、やめました。
私が、同じ質問をされ、その理由を問われると、
中学生にわかるようには話せないからです。
「私が死んだあとで、とうさんが新しい奥さんをもらうことがあったら、仲良くするんですよ」
に対して、息子は「うん」と言いました。
「人を嫌うと、その人に好かれることもできません」
と言ってから、
育児の最後の部分をやっているなあ、と思いました。
ラストステージはとても長く、お互いの距離はどんどん離れて行く。
別れの儀式に似ている。
一冊の本を、別々に読み、別な思いを抱く。
「一緒に本を読む」の、最後の形が、これであると思います。
買い控えた一冊。「音の詩集」と呼びたくなる本です。
子どもが暗唱するまで読み込むところでしたが、幼児には少し長い気がしました。
「みみをすます」という一文が、どこかに残っているだけでいいかな、
と思いました。
内容はほとんど忘れてしまいましたが、とにかく音韻的にすぐれもの、
と感じた記憶があります。
日本語の音、連なったときの音が、非常になめらか、清澄で、
音読すると、詩の中に取り込まれるような感覚を味わいました。
日本語を話す前、うんと初期に読み聞かせるんでした、意味がわからなくとも。
ぜひ、もう一度音読してみたい。
海や、山や、いろんな場所で、何度も何度も読みたい、
音楽のような詩集です。
息子の方は、読んだ頃には「物語」が聞きたかったらしくて、
詩は、物語タイプのものしか好みませんでした。
赤ちゃん用の絵本のシリーズの一作です。
子どもは気に入ったようでしたが、くつの現物が目の前にあることから、
購入はしませんでした。
くつという「外を歩くための道具」は、歩き始めた子どもにとって、
かなり重要な存在ではないか、と思いました。
乳児期の終わり頃でしたか、
自分のものと、他の家族のものを区別する行動が見られました。
くつは、食事の道具よりもずっと、大事にされているように見えました。
きっと、外出することが、とても楽しいことで、
その際の大切な行事のように、くつをはくのだろう、と思いました。
数の認識の初歩でもあるかもしれません。
足がふたつ、くつもふたつ、という。
「ただひとつ」から「複数」への認識の発展。
私自身の記憶にある一番古いくつは、
5歳前、祖父母と同居していた頃のもので、
そのくつは玄関の大きな大人のくつに混じって、非常に目立っていました。
私はすわり、くつに足を片足ずつ入れる。
紐がついていて、困る。
覚えたてなので自信がない、でも蝶結びを試みる。
うまく結べてないような気がするが、とりあえず仕事を済ませ、立ち上がる。
確かに自分の記憶である証拠に、そのシーンには、
小さな不器用な手と、くつと紐だけが、
そして立ち上がったときの、今よりずっと近くにある小さなくつを履いた小さな足だけがある。
くつから、前方に視線を転じて、
おそらく扉を開けて、外に出たのでしょう。
こんな何十年もたって、なお残っているこの記憶から考えるに、
それは幼児にとって、とても大事なことだったのだろうと思います。
ひとりでくつを履く、ということが。
私は「耳なし芳一」を一回語ったら、すごい... read more
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